トルストイの小説『イワン・イリッチの死』に、こんな場面があります。
末期の病に侵された主人公イワン・イリッチのもとへ、医師が訪れる。医師は丁寧に診察し、検査結果を説明し、治療方針を告げる。しかし彼が本当に知りたいこと——「私は死ぬのか」「この苦しみはいつ終わるのか」——には、誰も答えてくれない。医師たちはイワン・イリッチの「病気」を診ていたが、イワン・イリッチ「その人」を診ていなかった。
内科医であり文学研究者でもあるリタ・シャロンは、こうした場面を「薄い(thin)理解」と呼びます。
リタ・シャロンとナラティブ・メディスン
リタ・シャロンは、コロンビア大学においてナラティブ・メディスン(Narrative Medicine)のプログラムを創設した人物です。医師として臨床に立ちながら、文学の博士号も取得した異色の経歴を持ちます。
彼女が提唱するのは「物語コンピテンス(narrative competence)」——患者の語りを受け取り、解釈し、それに応じて行動する能力です。これは「共感力を高めよう」という感情論ではありません。文学を読み、精緻に解釈する訓練を通じて身につける、知的・技術的な能力として位置づけられています。
薄い理解と厚い理解
シャロンは、安易な患者理解を「薄い」と表現します。
症状を聞き、診断名を当てはめ、治療方針を立てる。それ自体は必要なことです。しかし、その患者さんがなぜ今ここにいるのか、病いはその人の人生にどんな意味を持つのか、何を恐れ何を望んでいるのか——そうした文脈を抜きにした理解は、どこまでいっても「薄い」ままになってしまう、とシャロンは指摘します。
対して「厚い理解」とは、患者の語りや人生の文脈を踏まえた、重層的な理解のことです。そしてこの「厚さ」を培うために、シャロンが持ち込んだのが文学でした。
文学を読むことが、なぜ臨床に効くのか
コロンビア大学のナラティブ・メディスンのプログラムでは、医学生や研修医がヘンリー・ジェイムズの小説やトルストイの作品を読み、丁寧に解釈する訓練を受けているそうです。
これを「精緻な読み(close reading)」と言います。行間を読む。語り手の視点に気づく。言葉に込められた感情を拾う。省略されているものを想像する——こうした文学的読解の技術が、患者の言葉を聞く臨床の場でそのまま活きてくる、というのがシャロンの主張です。
『イワン・イリッチの死』を読んだ医学生は、「診断を告げながらも患者を見ていない医師」の姿を他人事として読むことができません。それは自分自身の臨床の未来への、静かな警告として届くのです。
医学的知識が前提である、という重要な視点
ここで誤解してほしくないことがあります。
シャロンはナラティブを「医療の代替」とは考えていません。確かな医学的知識をしっかりと身につけた上で、文学や患者の語りを踏まえた診療を行うこと——この順序が重要だと彼女は強調します。
感性だけでは医療はできません。しかし知識だけでも、患者を「厚く」理解することはできない。その両方があって初めて、イワン・イリッチが本当に必要としていたものに気づける医療者になれる、ということではないでしょうか。
おわりに
理学療法士として臨床に立つとき、私もつい「この患者さんのことは分かった」と思ってしまうことがあります。でも、シャロンの言葉を思い出すたびに、問い直す必要があります。
「厚く」理解しようとすることは、終わりのない作業です。文学を読み、語りに耳を傾け、その人の文脈に近づこうとし続けること。それが、医療者としての誠実さの一形態なのかもしれないと、感じています。
→ NBMとは——物語に基づく医療入門
→ 「病いの語り」をそのまま受け止める
→ 医療人類学とナラティブ
【参考文献】
- シャロン, R. 他(斎藤清二・栗原幸江・齋藤章太郎訳)(2019).『ナラティブ・メディスンの原理と実践』北大路書房.
- トルストイ, L.(米川正夫訳)(1928).『イワン・イリッチの死』岩波書店.



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