面会のたびに、同じことを聞いていました。
「今日はどうですか」
理学療法士として、患者さんの家族から同じような問いかけを受けてきた側の自分が、今度は問いかける側にいる。その立場の逆転に、妙な感覚を覚えながら。
「昨日より、良くなっていますよ」
ある日の面会を終えたとき、担当の看護師さんがそう声をかけてくれました。
「昨日と比べて、良くなっていますよ」
その言葉を聞いた瞬間、自分の中ですごく安心感を感じたのを覚えています。
一方で、頭の中では別のことも同時に動いていました。医療者としての自分は、「良くなっている」という言葉が、「もう大丈夫」を意味しないことを知っています。まだ経過を見守る必要がある状況であること、油断できる段階にはないこと——それは理解していました。
それでも、安心したのです。
知識として「わかっている」ことと、言葉が届いたときの心の動きが、一致しない。その不思議さが、しばらく頭の中に残りました。
現在地ではなく、方向を見ている
アメリカの社会学者アーサー・フランクは、著書『傷ついた物語の語り手』の中で、病いの語りにはいくつかのパターンがあると述べています。その中のひとつに、回復の物語(restitution narrative)と呼ばれるものがあります。要するに「昨日より今日、今日より明日」という方向性の語り——良くなっていくという軌跡の感覚が、人に希望をもたらすという考え方です。
「昨日より良くなっている」という言葉は、まさにこの感覚を呼び起こすものだったのかもしれません。
医療者は、ある意味で「現在のスナップショット」を見る訓練を受けています。今の状態はどうか、どこまで回復しているか、リスクは何か。それは必要な視点です。でも、患者さんや家族が求めているのは、現在地そのものではなく、「どちらに向かっているか」という方向の感覚なのかもしれません。
完全に回復していなくてもいい。まだ油断できない状況でもいい。「昨日より良くなっている」——その一言が示す方向性の中に、安心のよりどころがある。
自分自身が家族の立場に立って、初めてそのことを実感しました。
看護師さんの言葉が届いた理由
あの言葉が安心に繋がったのは、内容だけではなかったかもしれません。
面会を終えたタイミングで、わざわざ声をかけてくれたこと。「昨日と比べて」という具体的な時間軸を使ってくれたこと。そして、医療者として状況を把握しているはずの自分に対しても、同じ言葉を届けてくれたこと。
家族として不安を抱えていることを、見ていてくれていたのだと感じました。
臨床に戻ってから、この経験を何度か思い返しています。患者さんに現状を説明するとき、「今の状態はこうです」だけでなく、「先週と比べると」「昨日より」という比較の言葉を、意識して添えるようになりました。その一言が、聞く側にとってどんな意味を持つかを、あの日の自分の感覚として知っているから。
おわりに
「安心する」とはどういうことなのか、改めて考えます。
それは「完全な回復」を確認することではなく、「良い方向に向かっている」という感覚の中にあるのかもしれません。医療者としての知識は、安心を妨げることもある。でも、あの看護師さんの言葉は、その知識の隙間をそっと埋めてくれるものでした。
患者さんの家族に言葉をかけるとき、何を伝えたいと思っているか——そのことを、もう少し丁寧に考えていきたいと感じています。
→ 病気になるのは、患者さんだけじゃない──家族もまた、当事者である
→ 医療のユニフォームを脱ぐとき──患者として医療に
→ 『病みの軌跡』とは?
【参考文献】
- Frank, A. W.(1995). The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics. University of Chicago Press.(邦訳:フランク, A. W.著, 鈴木智之訳(2002).『傷ついた物語の語り手——身体・病い・倫理』. ゆみる出版.)



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