「私、よくなってますかね?」
セラピストであれば、よく聞かれる言葉だと思います。リハビリの合間に、ふとした瞬間に、患者さんはこの言葉を口にします。そして私は、いつも一瞬、言葉に詰まります。
予後予測は「一般」の話
臨床研究の世界では、さまざまな疾患や障害について予後予測が研究されています。発症からの期間、初期の重症度、年齢——多くの因子から、回復の予後を推定する知見が積み重ねられています。
一方で、その予後予測が目の前の患者さんに当てはまるかどうかは、判断できません。研究が教えてくれるのは、あくまで「同じような条件の人たちは、平均的にこうなることが多い」という一般的な話です。平均から外れて大きく回復する人もいれば、その逆の人もいる。目の前のこの人がどちらなのかは、誰にもわからないのです。
だから、セラピストは悩む
この「一般と個別のあいだ」で、セラピストは悩むことになります。
予後的に大幅な改善が期待できる方に、「良くなりますよ」と前向きな言葉をかけていいのか。もし平均から外れてしまったら、その言葉は嘘になってしまわないか。責任を強く感じます。
逆に、予後の厳しい患者さんに対しては、もっと悩みます。正直に見通しを伝えること、あるいは厳しい表情をすることが、その方の気持ちを折ってしまうかもしれない。かといって、根拠のない励ましでごまかしたくもない。
「私、よくなってますかね?」——この短い言葉への返答が、こんなにも難しいのです。
その言葉は、数字を求めているのだろうか
ここで、本ブログで何度も取り上げているNBM(Narrative Based Medicine:物語に基づく医療)です。要するに、患者さんを「疾患のデータ」としてではなく、「物語を生きるひとりの人」として捉える考え方です。
この視点に立つと、「私、よくなってますかね?」という言葉が、少し違って見えてきます。
患者さんは、予後予測の数字を求めているのでしょうか。もちろん、そういう場合もあると思います。でも多くの場合、この言葉の後ろには、その人の物語があります。「孫の結婚式までに歩けるようになりたい」「仕事に戻れるのか不安で眠れない」「家族に迷惑をかけたくない」——何をもって「良くなる」とするかは、その人の物語によって違うのです。
だとすれば、この言葉への応答は、正確な予測を返さないといけないわけではないと思います。「どういうところが、いちばん気になっていますか」と聞き返してみる。すると、数字では答えられなかったその言葉が、その人の物語を聴く入口に変わることがあります。
おわりに
「私、よくなってますかね?」にうまく答えられない自分を、責めなくてもいいのだと思います。
悩み続けることが、セラピストにとっても患者さんにとっても希望につながるのだと思います。
言葉に詰まるのは、いいかげんなことを言うまいとする誠実さの表れです。エビデンスという一般論と、目の前のその人の個別の物語。その間で言葉を探し続けることが、セラピストの仕事なのではないかと感じています。
→ NBMとは──物語に基づく医療入門
→ EBMとNBMの違い──対立ではなく補完関係



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