セルフヘルプ・グループという言葉があります。簡単に言えば、「自分のことは自分でする」と「相互に助け合う」とが組み合わされた言葉で、独立と依存との両面を意味する「仲間同士が支え合うグループ」のことです(久保・石川編, 1998)。
患者会、家族会——患者さんたちの周辺には、同じ経験を持つ仲間同士が支え合う場が数多く存在しています。今回は、この場に医療者がどこまで関わるべきかについて、自分の経験もふまえて考えてみたいと思います。
セルフヘルプ・グループの歴史と、二つの型
アメリカでは、1950年代後半から1960年代に興隆した公民権運動の高まりを背景に、多くのセルフヘルプ・グループが設立されました。日本では第二次大戦後、患者自身による自主的な組織として患者会が設立されましたが、患者の置かれた劣悪な状況に対する医療・社会保障などの要求運動、社会的なスティグマに対する偏見の除去を目指す社会運動が中心だったとされています(久保・石川編, 1998)。
今日、セルフヘルプ・グループは病気や障害、社会的な問題の変遷の中で、時代のニーズに合わせて多様なあり方を見せています。
その中で、専門家との関係に注目すると、大きく二つの型があります。ひとつは、専門家の介入のあり方を常に批判的に捉える患者主導型。もうひとつは、日本で多く見られる、医療スタッフが直接的・間接的に関わっている型です(浮ヶ谷, 2004)。
私が患者会に参加したとき起きたこと
私が、医療スタッフとして患者会に参加したときのことです。
そこで気づいたのは、私が加わると、集まった方々の語り合いの文脈が医療に偏っていくということでした。理学療法士の私の場合は、話題が「運動」に寄っていきます。「先生、こういうときはどんな運動をすればいいんですか」——せっかく仲間同士で語り合う場だったはずが、いつのまにか専門家への質問会のようになっていったのです。
このことは一概に悪いことであるとは言えません。参加者の方々にとって、専門家に直接聞ける機会は貴重ですし、私も聞かれれば医療者としてしっかり答えたいと思います。でも、そんなとき、場の性質が変わってしまう。仲間同士の水平な語り合いが、専門家と患者という上下のあるような関係に置き換わってしまうのです。
医療者がいることの、メリットとデメリット
医療者が関わることには、確かなメリットがあります。正確な情報が得られる。不安なことをその場で確認できる。医療とのつながりが保たれる安心感もあるでしょう。
でも同時に、デメリットもあります。医療者がいることで、語りの主導権が気付かぬうちに専門家へ移ってしまう。「自分たちの経験を語り合う場」が「専門家の知識を受け取る場」に変化してしまう。それは、セルフヘルプ・グループが本来持っている「自分のことは自分でする」という側面を、知らないうちに弱めてしまうのかもしれません。
おわりに
病気に対して主体的に関わるためには、医療者との距離をある程度とることも必要なのではないか——患者会に参加した経験から、改めて私はそう感じる用になりました。
医療者として、求められれば応えたい。でも、いつも真ん中にいる必要はない。時には後ろに下がり、時には参加しないという選択も、患者さんの主体性を支えるひとつのかたちなのかもしれません。関わることだけが支援ではない——せめて場を提供するというスタンスがちょうどいいのかもしれません。
→ 病いは、個人のものではない——共同体で病気に向き合うという視点
→ 医療者の「無意識的翻訳」——患者さんの言葉は、どのように聞かれているか
※ 本記事のセルフヘルプ・グループの定義・歴史に関する記述は、下記文献の引用・要約にもとづいています。患者会での経験と考察は、私個人の見解です。
参考文献:
久保紘章・石川到覚(編)(1998).『セルフヘルプ・グループの理論と展開——わが国の実践をふまえて』. 中央法規出版.
浮ヶ谷幸代(2004).『病気だけど病気ではない』. 誠信書房.



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