私たちの社会では、病気になるとその人が病院へ行き、医師と一対一で向き合い、治療を受けます。病気は「個人の問題」として扱われることが、当たり前になっています。
でも、この当たり前は、実は普遍的なものではないようです。
病気は共同体の問題である、という社会
医療人類学者の浮ヶ谷幸代は、『病気だけど病気ではない』(2004)の中で、文化人類学が研究対象としてきた社会での病気の扱われ方について、次のように述べています。
多くの社会では、病人が発生したとき、治療の問題を個人に限定して扱わない。病気は、病者とその家族、親族、地域社会にとっての問題として捉えられている。治療者は問題を解決する集団の一員として位置づけられ、患者と治療者の関係は、私たちの社会に見られるような一対一の閉鎖的で孤立した関係としては捉えられていない、というのです(浮ヶ谷, 2004, p.157)。
そうした社会では、病者と家族、治療者だけでなく、親族や地域の人たちが参加する治療儀礼が執り行われていることも報告されています(浮ヶ谷, 2004)。
病気とは、共同体全体で引き受けるもの——そういう世界が存在しているのです。
私たちの医療を、少し外から眺めてみる
この視点に立つと、私たちの医療のかたちが、少し違って見えてきます。
診察室で医師と患者さんが一対一で向き合う。リハビリ室でセラピストと患者さんが一対一で訓練する。この「閉じた関係」は、効率的で専門的である一方、病いを患者さん個人の中に閉じ込めてしまう構造でもあるのかもしれません。
でも実際には、病いの影響は家族に及び、暮らしに及び、その人が属する共同体に及んでいきます。そして回復もまた、本来は一対一の関係の中だけで完結するものではないはずです。
→ 病気になるのは、患者さんだけじゃない──家族もまた、当事者である
おわりに
病いは個人のものではなく、共同体のもの——この医療人類学の視点は、遠い異国のことであるという解釈では不十分であると感じます。
家族が訓練場面に同席するとき。退院に向けて地域の支援者たちが集まるとき。私たちの医療の中にも、共同体で病いに向き合う瞬間は、確かにあります。一対一の関係だけが医療のかたちではないと知っておくことは、目の前の患者さんの後ろに広がる世界を思い出させてくれるのではないでしょうか。
→ 受療行動(illness behavior)——人はなぜ、いつ、どこで助けを求めるのか
※ 本記事の前半は、浮ヶ谷幸代『病気だけど病気ではない』(2004年、誠信書房、p.157)の記述の引用・要約にもとづいています。
参考文献:
浮ヶ谷幸代(2004).『病気だけど病気ではない』. 誠信書房.(p.157)



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