カンファレンスで、意見が食い違うことがあります。
医師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、管理栄養士、薬剤師——医療者という意味では同じであっても、それぞれが異なる教育を受け、異なる価値観を持って同じ患者さんに関わっています。たとえば退院後の自己管理をどうするか、という話になったとき、職種によって強調する点がずれることは珍しくありません。
同じ医療という領域にいて、同じ患者さんを見ていても、考え方は食い違う。その点について、今回は考えてみたいと思います。
→ カンファレンスで意見がまとまらないのはなぜか——職業文化と「患者」
患者さんにも「信念」がある——保健信念という考え方
食い違うのは、医療者どうしだけではありません。患者さんもまた、自分なりの考えを持っています。
行動科学の分野に、保健信念という言葉があります。諏訪茂樹によれば、「こうすれば健康になれる」「こうすれば病気になる」という、健康や治療に関する人々の考えのことです(諏訪, 2026)。
そしてこの保健信念は、いくつかの型に分類できるとされています。西洋近代医療への信念、東洋医療(漢方医療)への信念、呪術医療への信念、民間療法への信念——大きくはこの4つです(諏訪, 2026)。
要するに、その人なりの「良くなるための考え方」ということです。私たち医療者が西洋近代医療への信念を強く持っているのと同じように、患者さんもそれぞれの信念を持って、日々の健康行動を選んでいます。
頭ごなしに否定すると、何が起きるか
ここで、諏訪が重要な指摘をしています。
保健信念は文化や信仰と深く結びついていることから、頭ごなしに否定すると信頼関係の形成・維持が難しくなる(諏訪, 2026)。
これは、本当に臨床で実感することでもあります。「そのサプリメントは効果が証明されていません」「その民間療法はやめたほうがいいです」——医学的には正しい指摘かもしれません。でも、その一言で、患者さんが心を閉ざしてしまうことがあります。本心を患者さんが言わなくなってしまうのです。
なぜなら、信念を否定されるということは、その人自身のもともとの文化や、家族からの教えや、これまでの人生の選択を否定されることでもあるからです。医療者は「情報を訂正した」つもりでも、患者さんは「自分を否定された」と受け取っている可能性があります。そこにズレが生まれます。
以前書いた記事で、患者さんに勧められたお茶を飲み続けて腎機能が改善したという医師の話を紹介しました。あれもまさに、保健信念が働いていた場面だったのだと思います。
→ 「なんでかはわからないが、よくなったのは確か」——疾患と病い、二つの「治る」
専門職どうしでも食い違うのだから
ここで、冒頭のカンファレンスの話に戻ります。
同じ医療の世界で学び、同じ患者さんを見ている専門職どうしですら、考え方は食い違います。それぞれの教育背景が、それぞれの信念を形作っているからです。
だとすれば、まったく違う人生を歩み、違う文化の中で育ち、違う経験を積み重ねてきた患者さんの信念が、私たちのそれと違っているのは——むしろ当然のことなのではないでしょうか。
医療者どうしの意見の食い違いを、私たちは「相手が間違っている」とは言いません。「立場が違うから」「専門性が違うから」と理解しようとします。同じまなざしを、患者さんの信念に向けることはできないでしょうか。この視点が重要だと思うのです。
おわりに
否定しないことは、同意することではありません。
医学的に危険な行為があれば、それは伝える必要があります。でもその前に、その信念がどこから来ているのかを知ろうとすること。誰から教わったのか、どんな経験に支えられているのか、その人にとってどんな意味があるのか——そこを聞かずに正しさだけをぶつけても、おそらく届きません。
信念は、その人の文化と人生でできています。だからこそ、否定することなく、ある程度は受け止めることを大切にする。そこから対話が始まるのではないかと感じています。
参考文献:
諏訪茂樹(2026).「医療者が知っておくべき行動科学」.『日本呼吸ケア・リハビリテーション学会誌』35(2), 97-101.



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