データをバラバラにしないこと——M-GTAが選ぶ「第三の道」

データをバラバラにしないこと——M-GTAが選ぶ「第三の道」 質的研究

ナラティブを主軸とした質的研究の目的は、数値に還元できない人間の経験を丁寧に描き出すことです。一方で「丁寧に描き出す」ことと「理論を生成する」ことは、実は難しい関係にあります。


実証主義的立場がもたらすもの——メリットとデメリット

質的研究においても、実証主義(positivism)的な立場をとる研究があります。研究者が「価値中立的な観察者」として対象から距離を置き、データを客観的に分析することで、形式理論(formal theory:文脈を超えて広く適用できる普遍的な理論)の生成を目指す立場です。

このアプローチには確かな強みがあります。生成された理論は汎用性が高く、さまざまな場面への応用や他の研究との比較が可能です。

一方で、大きなリスクをはらんでいます。普遍的な理論を生成するために、データは「切り刻まれる」ことになります。インタビューで語られた言葉が、文脈や前後の流れから切り離され、コード化・カテゴリ化されていく。その過程で、語りが持っていたリアリティ——「誰が、どんな状況で、何を思いながら語ったか」——が失われてしまう恐れがあります。


社会構成主義への揺り戻しとその問題

こうした実証主義への批判から、1990年代以降のGTAでは社会構成主義(social constructionism)的な方向へのシフトが起きました。「すべての知識は社会的・言語的に構成されたものだ」という立場から、客観的な真実の探求よりも、語りの意味や構築プロセスの解釈を重視する方向です。

しかし木下康仁は、この流れに批判的な立場をとります。社会構成主義への安易なシフトは、GTAが本来持っていた実証性——人間行動を説明・予測できる理論を生成するという目的——を手放してしまうと考えるからです(木下, 2022)。


M-GTAが選ぶ「第三の道」——クリティカル・リアリズム

では、実証主義でも社会構成主義でもない立場とは何でしょうか。

M-GTAが依拠するのは、クリティカル・リアリズム(critical realism:批判的実在論)という立場です。「言語化されなくても、日常世界のリアリティや人々の相互作用は確かに存在する」という前提に立ちつつ、「それを研究者の視点(分析テーマ)を通して論理化する」ことを目指します(木下, 2022)。

難しい言い方ですが、私なりに解釈すると「現実は存在する、でもそれを完全に客観的には捉えられない。だから研究者の視点を明示したうえで、誠実に理論化しよう」という立場です。

野口裕二との対談では、オープンダイアローグにおける「温かい空気」や「愛」のような感覚が例として挙げられています。言葉だけでは説明しきれないけれど、確かにそこに存在するリアリティ——M-GTAはこうした言語に還元しきれない部分をも視野に入れながら、「分析焦点者」の視点から論理的に記述しようとします(野口・木下, 2022)。


データをバラバラにしない理由

M-GTAが他の質的研究手法と大きく異なる点のひとつが、切片化を避けることです。

従来の手法では、インタビューデータ(逐語録)をコードごとに細かく分断(切片化)して分析します。でもM-GTAは、語りの「文脈」や「意味のまとまり」を大切にしながら概念化を行います。前後のやりとり、沈黙、言いよどみ——語り全体の流れの中に、理論の種があると考えるからです。

これは冒頭で触れた「実証主義的立場のデメリット」への直接的な対応です。データを普遍化のために切り刻むのではなく、語りの文脈性を守りながら、それでも理論として成熟させようとする試みです。


「a theory」という考え方

M-GTAが目指す理論は、普遍的な「The Theory」ではなく「a theory」です。

特定の範囲で有効であり、実践者が自分の状況に合わせて修正・活用できる「一つの理論(a guide theory)」——これがM-GTAの目標です(木下, 2022)。理論は完成品ではなく、実践者が使いながら最適化していくものです。

臨床場面に引き寄せると、M-GTAが生成する理論は「すべての患者さんに当てはまる普遍的な答え」ではありません。「このような状況にある人々には、こういう傾向がある」という説明モデルであり、セラピストが目の前の患者さんと向き合うときの確かな「羅針盤」として機能するものです。


おわりに

実証主義的立場の問題は、データの文脈を壊すことそのものにあるのではないかもしれません。「壊していることに気づかないまま、普遍的な理論ができたと信じてしまうこと」にあるのではないでしょうか。

M-GTAが示す「第三の道」は、その緊張を正直に引き受けながら、それでも実践に役立つ理論を生み出そうとする誠実な試みだと感じています。

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参考文献

  1. 木下康仁(2022).「M-GTAとナラティヴ」. 『ナラティヴとケア』第13号. 遠見書房.
  2. 野口裕二・木下康仁(2022).「質的研究とナラティヴ」(対談). 『ナラティヴとケア』第13号. 遠見書房.

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