新たな視点を提示する質的研究とは——サンプル数では測れない価値

新たな視点を提示する質的研究とは——サンプル数では測れない価値 質的研究

質的研究には、大きく分けて2つのタイプがあります。

ひとつは、傾向を提示するタイプ
もうひとつは、新たな視点を提示するタイプです(磯野, 2016)。

この違いを知らないまま研究に取り組むと、「その結果に妥当性はあるのか」「サンプル数が少ないのに一般化できるのか」といった指摘に、うまく答えられなくなります。今回は、後者の「新たな視点を提示するタイプ」について整理します。

なぜならば、そこに質的研究の面白さがあるからです。


質的研究の2つのタイプ

医療人類学者の磯野真穂は、質的研究を次の2つに分けています。

① 傾向を提示するタイプ ② 新たな視点を提示するタイプ 目的 集団に共有される 世界観・行動パターンを知る 目的 ものの見方そのものを 更新する 評価の観点 妥当性・客観性が 重要になる 評価の観点 見方がオリジナルで、 読者の目を開かせるか サンプル数 多いほうが望ましい サンプル数 1人でも価値がある 量的研究との関係 補助的 量的研究との関係 代替できない

① 傾向を提示するタイプ
ある集団において共有される世界観や行動パターンは何か、そこから外れるものはどのようなものかを明らかにする研究です。移民や性的少数者など、アクセスが難しく先行研究も乏しい集団を対象とするときに用いられます。ここで得られた結果をもとに質問紙を作り、量的研究につなげるデザインも考えられます。

② 新たな視点を提示するタイプ
こちらが目指すのは、新たな視点の開発です。既存のものの見方そのものを更新することを狙います。

磯野は、①にとどまる限り、質的研究は「量的研究ありきの補助的なツール」にとどまってしまうと指摘しています。質的研究の神髄は②にある、というのが論文の主張です。


だまし絵の思考実験

②を理解するために、磯野は印象的な例を挙げています。

若い女性にも老婆にも見える、有名なだまし絵があります。ある社会で、この絵はずっと老婆の絵だと考えられてきました。そこにひとりの女性が現れて、「ここをこう見たら、若い女性の絵にもなる」と言い出します。

さて、この発見に対して「妥当性はあるか」「客観性はあるのか」と問うことに、意味はあるでしょうか。

ないはずです。重要なのは、彼女が新しい視点を開拓したことであり、それが正しい方法に則っていたか、発見のプロセスに妥当性があったかは、この場合ほとんど意味を持ちません(磯野, 2016)。

視点開発型の質的研究で最も重視されるのは、提示されている見方がオリジナルであり、読者に世界を見るための新しい視点を与えているかどうかです。量的研究の評価ポイントを、そのまま当てはめることはできません。


対象者が1人でも、価値はある

この視点に立つと、「対象者100人の研究は1人の研究より優れている」という見方は、簡単には成立しなくなります。

磯野が例に挙げるのが、アーサー・クラインマンの『病いの語り』です。この本が世界中で読まれているのは、大規模臨床試験に基づいているからではありません。病気による苦しみを「疾患」ではなく「病い」として見るというものの見方が、臨床家にとって新しく、有益だと判断されたからです。

もうひとつ、東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』が挙げられています。重度の自閉症である著者がタイピングで綴ったこの本は、従来の自閉症の捉え方を一新しました。研究書ではありませんが、質的研究が最終的に目指すべきゴールが記されている、と磯野は述べています。

つまり、サンプル数ではなく、そこに提示された結果に見るべき価値があるかで決まるということです。

この主張を読んで、以前ある医療人類学者の方から言われた言葉を思い出しました。

「医療は、量的データを重視するけど、臨床を変えるのは、一人の患者さんであることが多いですよね」

うっすらと感じていたことを、すらっと言葉にされて、感銘と少しの悔しさを覚えた言葉です。研究のサンプル数の話をしているとき、私たちはつい忘れてしまいます。でも実際に自分の臨床を変えてきたのは、統計的な傾向ではなく、忘れられない一人の患者さんだったはずです。

現場を変えるのは、一人の患者
サファリング(suffering)とは?──Kleinmanが問う「苦しみ」という経験の本質


臨床家にとっての意味

文化人類学者クリフォード・ギアツの言葉が、この論文の冒頭と末尾に置かれています。ふつうから外れている存在の中にこそ、典型からずれた事例の中にこそ、人間とは何かを考える鍵がある——という趣旨です。

経験を積んだ臨床家であれば、自分の臨床を深めてくれるのは典型例よりも、そこから外れた症例であることを、日々感じているのではないでしょうか。「あの患者さんは、なぜあんなふうに考えたのだろう」と引っかかり続けている、あの一例です。

そうした症例こそが、私たちのものの見方に問い直しを迫ってくれます。質的研究は、そういう直感を持つ臨床家にこそ向いている方法だと、磯野は述べています。

一方で、典型例について改めて考察すること(例えば現象学など)も質的研究においては重要な分野です。当たり前を問い直す視点です。これも新たな視点につながります。


おわりに

論文化するうえで、客観的で妥当性のある研究を目指すことは必要だと思います。それは前提として大切です。

でも、それを目指すあまり、質的研究の醍醐味を失わないようにしたいと感じています。

何より大切なのは、その研究を見た人、その論文を読んだ人の臨床での悩みや苦悩が、少しでも軽くなることではないでしょうか。だとすれば、いきすぎた一般化や抽象化は避けるべきなのではないかと、私は考えています。

綺麗な分析より、確からしさを多方面から——研究に必要な「判断」についての私見

※ 本記事の質的研究の2つのタイプに関する記述は、磯野(2016)の引用・要約にもとづいています。おわりにの考察は、私自身の見解です。


参考文献:
磯野真穂(2016).「臨床家のための質的研究(前編):「方法」に走る前に身につけたい3つの構え」.『医学教育』47(6), 353-361.
J-STAGEで全文を読むことができます(オープンアクセス)。

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