文化・医療人類学

「わかっているけど、できない」——食事療法と、食べることの意味

「わかってはいるんですけど、なかなか……」——糖尿病の食事療法をめぐる患者さんのこの言葉は、怠慢ではないかもしれません。バフチーンの「世界との出会い」としての食と、浮ヶ谷幸代のセルフ・コントロール批判から、食事療法の社会的・文化的な複雑さを考えます。
ナラティブ・語り

「昨日より、良くなっていますよ」——看護師の言葉が届いたとき

親族の入院中、看護師さんから「昨日と比べて、良くなっていますよ」と声をかけてもらった。医療者としてまだ油断できない状況だとわかっていても、その言葉で安心した。「現在地」ではなく「方向性」の語りが、なぜ安心をもたらすのか——フランクの回復の物語(restitution narrative)から考えます。
内省・関わり

「また来てしまいました」——再入院という経験

「また来てしまいました」——退院後に病棟へ戻ってきた患者さんの、申し訳なさそうな表情が残っています。再入院を「失敗」として見る視点は、患者さんが戻らざるを得なかった理由をこぼしてしまうのではないか。ライミナリティ(liminality)の概念から、再入院という経験を考えます。
内省・関わり

理学療法士として、いま大切にしていること——30代後半からの覚え書き

時々、自分が理学療法士に向いているのか考えることがあります。30代後半の理学療法士が、仕事への愛着・臨床推論・多職種連携・知的謙虚さ・判断の保留について、個人的に大切にしていることをまとめた覚え書きです。
文化・医療人類学

「この足がねー」——脱身体化という視点からリハビリを考える

「この足がねー」「人の手みたい」——リハビリの場面で患者さんが自分の身体を三人称で語るとき、何が起きているのでしょうか。マーフィーの「脱身体化」という概念を手がかりに考えます。
内省・関わり

医療と研究は、個人の努力で成り立つのか——コメディカルを対象にしたオーストラリアの研究から

リハビリテーション領域のコメディカルが研究に関われない背景には、インセンティブや組織構造という「文脈」がある。オーストラリアの質的研究をもとに、専門家であり続けることを支える条件を考えます。
文化・医療人類学

補完代替医療を選ぶとき——医療人類学から考える

リハビリ外来患者の約6割が民間療法を利用しているというデータをもとに、なぜ人は補完代替医療を選ぶのかを医療人類学の視点から考察する。
読書メモ

読書メモ 三浦綾子『氷点』——違和感の先に広がる、人間の内側

三浦綾子の『氷点』を読んだ。違和感を覚えながらも「こうなってしまうのかな」という想像が膨らむ——人間の内側を丁寧に描いた小説の読書メモ。
ナラティブ・語り

文学を処方する——リタ・シャロンが指摘する”薄い理解”の危うさ

内科医であり文学研究者でもあるリタ・シャロンは、安易な患者理解を「薄い(thin)理解」と呼びます。文学的読解の訓練が臨床の「厚い理解」につながるというナラティブ・メディスンの核心を、トルストイの作品とともに考えます。
内省・関わり

言葉を鵜呑みにするな——シニフィアンとシニフィエが教えてくれること

「もう無理かもしれない」患者さんからそう言われたとき、あなたはどんなふうに受け取りますか。「諦めてしまっている」「気持ちが後退している」——そう理解するのは、自然なことかもしれません。私もそう感じることがあります。でも、大学時代に恩師から「...