研究会の記録

入院するということ、それ自体が不安である——当事者である理学療法士の語りから

病いの当事者でもある理学療法士の方に、ご自身の経験を語っていただいた研究会の記録です。症状の重さとは関係なく、入院という体験そのものが不安と孤独を伴うこと。声かけひとつが持つ意味について考えました。
文化・医療人類学

患者さんの「こうすれば良くなる」を、否定しないこと——保健信念という考え方

「こうすれば健康になれる」という患者さん自身の考えを、保健信念といいます。文化や信仰と結びついたその信念を頭ごなしに否定すると、信頼関係は築けません。専門職どうしの意見の食い違いから考えます。
内省・関わり

「そばにいることしかできない」と感じるとき——時間と、第三者としての医療者

患者さんの望む結果にならないと知りながら関わる時間。「そばにいることしかできない」と感じるとき、その関わりを過小評価していないでしょうか。時間が解決するものと、第三者だからこそ聴けるナラティブについて考えます。
読書メモ

専門家であることを、いったん脇に置く——キーツの「個性を持たない」力と医療者

「真の才能は個性を持たないで存在する」——キーツのこの言葉は、専門職アイデンティティの確立を求められる医療者に、逆向きの視点を投げかけます。専門家であるがゆえに揺らぐ「生活者としてのまなざし」について考えた読書メモです。
読書メモ

「耐える」の先に、共感がある——帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』を読む

答えの出ない事態に耐える力、ネガティブ・ケイパビリティ。帚木蓬生は、この能力を単なる我慢ではなく「対象の本質に迫り、共感に至る手立て」だと述べています。わからなさに持ちこたえることと共感の関係を考えます。
ナラティブ・語り

「私、よくなってますかね?」に、うまく答えられない——予後予測と、その人の物語

「私、よくなってますかね?」——セラピストなら必ず聞かれる言葉に、いつも一瞬、言葉に詰まります。予後予測という一般論と、目の前のその人の物語。NBMの視点から、この言葉への向き合い方を考えます。
文化・医療人類学

セルフヘルプ・グループに、医療者はどこまで関わるべきか——患者会に参加して考えたこと

医療スタッフとして患者会に参加すると、語り合いの文脈が「医療」に偏っていく——その経験から、セルフヘルプ・グループと専門家の距離について考えます。関わることだけが支援ではないのかもしれません。
文化・医療人類学

病いは、個人のものではない——共同体で病気に向き合うという視点

多くの社会では、病気は個人ではなく、家族・親族・地域社会の問題として扱われてきた——浮ヶ谷幸代『病気だけど病気ではない』の記述を手がかりに、一対一の閉じた治療関係を少し外から眺めてみます。
文化・医療人類学

カンファレンスで意見がまとまらないのはなぜか——職業文化が構築する、それぞれの「患者」

医学は患者を「疾患の場」として、看護学は「ニーズのパッチワーク」として構築する——同じ人間を見ているようで、見ている対象は違う。職業文化の視点から、セラピストの立ち位置と多職種カンファレンスでのすれ違いを考えます。
ナラティブ・語り

結末のない語りを、そのまま聞く——ネガティブ・ケイパビリティとナラティブ

物語にはポジティブな結末があるはず——その前提が、結末のない語りをそのまま受け取ることを難しくしています。フランクの混沌の物語とネガティブ・ケイパビリティの交差点から、語りに耳を傾けることの意味を考えます。