ナラティブ・語り

「病院がホームで、自宅がアウェイ」──患者さんの語りが変わる場所と相手

患者さんは相手や場所によって語りを変えます。医療者の前では医学的な言葉に、家族の前では生活の言葉に。Goffmanの「表舞台と裏舞台」という概念から、その変化の意味と、病院という場所の非対称性を考えます。
内省・関わり

「小説を読む同僚は、なぜ温かいのか」──文学と医療の、意外な接点

職場でよく小説を読む同僚は、なぜか患者さんへの関わりが温かい——そんな実感から、文学と医療の接点を探りました。KiddとCastanoの研究、そしてRita Charonのナラティブ・メディシンが、その「温かさ」の正体を教えてくれます。
質的研究

「数分の発表のために」──リハビリテーション領域と質的研究、そして研究会を立ち上げた理由

セラピストの学会や研究会でも、質的研究の発表を見かける機会が増えてきました(私のいる地域ではまだまだですが、、、)。インタビュー調査の結果を分析した発表、研究対象者の例えば患者さんの語りをテーマごとに整理した研究、現象学的な視点で臨床経験を...
質的研究

修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)とは何か──語りの文脈を守りながら、理論を生み出す質的研究法

以前、M-GTAとナラティブの関係について概要をまとめた記事を書きました。→ 修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)とナラティブ今回はその続編として、M-GTA固有の考え方と方法論を、もう少し丁寧に掘り下げてみたいと思いま...
文化・医療人類学

アーサー・クラインマンが伝えてくること——患者の経験を中心に置くということ

「家に帰れない。自分の役割を果たせない」新人のころ、患者さんからそんな言葉を聞いたとき、どう応えればいいのかわかりませんでした。膝の痛みは改善している。歩行距離も伸びている。でも患者さんの苦しみは、そこにはありませんでした。「治療はうまくい...
内省・関わり

専門性の意味を、更新していく

役割の境界が動き、求められることが増えていく時代に、プロフェッショナリズムとは何かを考えました。専門家の核心は「守ること」ではなく「自分たちの判断で実践できること」にある。その軸をどこに置くか——理学療法士としての実践から書きました。
内省・関わり

「本当に家に帰って大丈夫?」──退院場面で医療者が抱える不安について

退院を前に不安を感じているのは、患者さんだけではないかもしれない。「本当に大丈夫だろうか」——急性期のセラピストが感じるこのもやもやを、文化人類学の「リミナリティ」という概念で読み解きます。
内省・関わり

研究と臨床は、遠くない——「知る」と「検証する」という共通の問い

研究をしていると、ときどき考えることはありませんか。「これは、臨床から離れた作業になっていないか」と。データを集め、分析し、論文を読み込む時間が続くと、患者さんのいる場所とどんどん遠ざかっているような感覚に陥ることがあります。私自身、研究と...
ナラティブ・語り

知識・技術と対話を携えたセラピストになりたい

先日、恩師のご縁でつながっている先生方と、ゆっくり話す時間がありました。臨床を経験して現在は教育者として働かれている方々でしたが、「どんなセラピストをめざしているか」というテーマが、対話のどこかに流れていました。その場では言葉にしきれなかっ...
ナラティブ・語り

患者さんが指示を守れないとき——二つの文脈のすれ違い

「痛みがないってことは、ついても問題ないということではないの?」松葉杖での歩行中、患肢への部分荷重を避けるよう指導していた患者さんが、こう言いました。ごく自然な口調で、でも私にはうまく答えられなかった質問でした。コルセットを強く嫌がる患者さ...