インタビューの語りは「いま」つくられる——想起バイアスとエポケーの構え

インタビューの語りは「いま」つくられる——想起バイアスとエポケーの構え 質的研究

「あのときは、もう二度と歩けないと思って、絶望していたと思います」

インタビューで、こんなふうに過去を振り返ってもらうことがあります。でも、この語りは本当に「あのとき」の気持ちそのものなのでしょうか。歩けるようになった「いま」から振り返っているからこそ、生まれた言葉なのかもしれません。

今回は、インタビュー調査で頭に入れておきたい想起バイアスについて、質的研究の立場から考えてみます。


想起バイアスとは

想起バイアス(recall bias)とは、聞き取り調査に伴うバイアスのひとつで、質問の仕方によって、思い出す内容や程度が偏ってしまうことを指します(奥田, 2017)。

奥田は、現時点から過去にさかのぼって聞き取りを行う研究は、バイアスが入りやすく、信頼性が劣るとされていることにも触れています。また、質問者が変わると引き出される答えも変わってしまう「面接バイアス」も挙げています(奥田, 2017)。

量的研究の立場から見れば、これらはできるだけ取り除きたい誤差です。


質的研究では、語りは「再構成」である

ところが、質的研究ではこの見え方が少し変わります。

大谷尚は、人間は自己の体験のほとんどを言語化しておらず、言語化するのはインタビュアーに尋ねられて答えるときだと述べています。さらに回答者は、インタビュアーが自分にとってどういう存在か、そのインタビューが自分にとってどういう意味を持つかによって、話す内容を変える。だから語りは、インタビュアーと回答者のつくりだす関係の上に初めて成立する、と(大谷, 2017)。

中尾元も、桜井(2005)を引きながら、語りは過去の出来事をそのまま表しているというより、インタビューの場で、語り手とインタビュアーの両方の関心から構築されるものだと述べています(中尾, 2021)。

つまり質的研究は、そもそも対象者と調査者の相互作用によって成り立っています。

そう考えると、「いま」の視点から過去が語り直されることは、真実からのずれというより、語りのありようそのものです。その人がいま、過去をどう意味づけているのか。想起による変化を自覚して読み解くことで、はじめて見えてくる知見もあるのだと思います。

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それでも、誘導してはいけない——エポケーという構え

ただし、ここで注意したいことがあります。

語りが相互作用の中で生まれるからといって、調査者が語りを好きな方向に導いてよいわけではありません。インタビューの目的は、あくまで対象者のナラティブを聴き取ることです。調査者の意図する文脈に、語りを誘導するべきではありません。

そこで大切になるのが、現象学のエポケーという構えです。エポケーとは「判断停止」という意味で、今まで持っていた既成概念のすべてを一旦消してしまうことを指します(フッサール・須賀原, 2020)。

「きっとこう感じていたはずだ」「リハビリの話を中心に聞こう」——こうした調査者の先入観を、いったん脇に置いて聴く。臨床で患者さんと向き合うときにも通じる構えです。

「この患者さん、なんか苦手かも」と感じたとき、立ち止まれているか


エポケーの難しさ

ただ、エポケーは簡単なことではありません。

調査者も一人の人間です。これまでの経験や知識を、完全に消し去ることはできません。語りが相互作用の中で生まれる以上、調査者の影響がゼロになることもありません。

だからこそ、インタビューのあいだ、常にエポケーを意識しておく必要があるのだと思います。


おわりに

想起バイアスは、頭に入れておくべき大切な考え方です。でも質的研究では、それを消すことだけが目標ではありません。

語りは「いま」つくられる。そのことを自覚したうえで、調査者の先入観はできるだけ脇に置いて聴く。語りの変化を恐れず、でも語りを奪わない。インタビューという営みの難しさと面白さは、そこにあるのだと感じています。

質的研究のリサーチクエスチョンをどう立てるか——「どうしたらいいか」の前に

※ 本記事の想起バイアス・語りの構築・エポケーに関する記述は、下記文献の引用・要約にもとづいています。また、本記事は私見も多く含んでいます。

インタビューの3つの種類——構造化・半構造化・非構造化を整理する

質的研究をはじめるとき、何から考えるか——記事の道案内


参考文献:
奥田千恵子(2017).「外科的治療の探索的臨床研究」.『Spinal Surgery』31(1), 35-41. ※ J-STAGEで全文を読むことができます(オープンアクセス)
大谷尚(2017).「質的研究とは何か」.『薬学雑誌』137(6), 653-658. ※ J-STAGEで全文を読むことができます(オープンアクセス)
中尾元(2021).「ライフストーリー研究の方法論」.『人文×社会』1(1), 125-137. ※ J-STAGEで全文を読むことができます(オープンアクセス)
フッサール(原作)・須賀原洋行(漫画)(2020).『現象学の理念』. 講談社(まんが学術文庫).

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